潰れた低い鼻の僕が、お母さんに捨てられる被害妄想

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潰れた低い鼻の僕

前回のあらすじ…
鼻が可哀想な僕のそばに、犬がぴたりと寄り添った:
http://harb.xsrv.jp/storys5

 

本日の動画

 

お母さんが子供を捨てる瞬間

 

もしかすると、「お母さんは家を出ていくかもしれない」と思いました。

 

そして同時に、その時は

 

「お母さんは、お兄ちゃんだけを連れて出ていく。」

 

ということも分かっていました。家の中でも、保育園の中でも、
一言も喋らない(喋れない)僕を見て、母が父に

 

「もう面倒見きれんよ。近所のお寺にノブを預けようよ・・・」
と何度も相談していたのを知っていたからです。

 

「僕の居場所はどこにも無い」

 

そう思ったことは一度や二度ではありません。

 

ある日のことです。保育園の閉園時間が過ぎて、外が真っ暗になりました。
一人、また一人と子供たちのお母さんが自分の子供を迎えに来ます。

 

にぎやかだった部屋もシーン…と静まり返り、僕は一人、ポツンと広い
部屋の中に取り残されました。

 

動かなくなったおもちゃを、僕はずっと見ていました。

 

保育園の先生は職員室から何度も僕のいる部屋を覗きに来ました。
僕が泣いていないか見るためです。

 

僕は涙を必死にこらえました。

 

泣いたらお母さんに捨てられる

 

なぜか、そう思いました。

 

他の同年代の子が泣いている時、先生たちがその子の家に「早く迎えに来てくれ」と
電話をしていることを知っていたからかもしれません。

 

僕が泣けば、電話をされる。お母さんはきっと、手間のかかる僕に嫌気がさすに違いない。
そう思ったからかもしれません。

 

母の愛情も、母親への甘え方も知らないまま育った僕は、
この世界で唯一の母親にさえも嫌われないように、捨てられないように、
気をつかって生きてきました。

 

小学校低学年の頃には、うっすらとなぜ自分が「両親から愛されないのか」、
「なぜ祖父に虐待されたのか」、「なぜ同学年の子から”気持ち悪い”と言われるのか」、
その理由が分かりはじめました。

 

「僕は、顔が醜いから。。」

 

他にも、僕自身の性格的な問題など、色々な要素はあったと思います。でも僕は、

 

僕は悪くない。悪いのは全部、こんな顔に産んだお母さんのせいだと思うようになりました。

 

学校の席替えで好きな女の子の隣になった時は、すごく嫌でした。
必ず次の日には机と机の間に「すき間」が発生しているからです。
机をくっつけてもらうことすら叶わないのなら、遠くで見ている方がまだマシです。

 

次第に僕は嬉しいとか悲しいとか、怒りや驚き、そして涙さえも、およそ人としての
感情の全てを封印し、表には一切出すことなく暮らすようになりました。

 

人前で喜怒哀楽の表現をすればするほど人が遠くに離れていくような気がしたからです。

 

僕が女の子に対して好意を抱く事が相手にとっては迷惑で、不快で、汚い気持ちにさせるの
だと気付いた時、僕には何の自由も与えられていないのだと知りました。

 

ほんの少しの喜びや満足を手にすくう事すら許されず、あまりにも自分が不十分な姿のまま
生まれてきたことが悔しくて、

 

「なんで僕なんか産んだんだよ!」美形に生まれたお兄ちゃんに泣かされた後、
母親にくってかかったこともありました。

 

「ごめんね…ごめんね…」そう言って涙を流して謝る母親のことをギリギリまで追い詰めて、
圧迫して、それでもまだ母親のことが許せませんでした。

 

そんな自分の心が何だかとても苦しくて、同時に、自分の取ってしまった行動のせいで、
全てが終わったと思いました。

 

僕は母親にも父親にも、家族の誰からも祝福されずに生まれてきました。

 

お兄ちゃんの写真は何百枚もあるのに、僕の写真は1枚しかありませんでした。

 

 

 

自力で鼻を高くする方法

 

 

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