鼻を高くする方法を知らなかったので、一生チビの肉体になりまして。。

スポンサーリンク

前回のあらすじ…
うわ、こいつアイプチしとる!:
http://harb.xsrv.jp/storys8

 

本日の動画


 

栄養不足で一生チビの体に

 

もちろん良い事ばかりではありません。

 

成長期なのに全然食事をとらないので体の成長が止まりました。
だから今でも僕はチビのままです。

 

そして今でも低身長な自分にコンプレックスを持っています。

 

「もし、昔の自分に戻れるとしたらいつ?」と聞かれたら真っ先に
「中学生時代」と答えます。

 

中学生時代の自分に「ちゃんとご飯は食べなきゃダメだよ!」と
伝えてあげたいです。

 

でも、後悔している気持ちは確かにありますが、それ以上に
今の自分があるのは全て中学生の時にリスクを取って挑戦した自分がいたからです。

 

そんな自分を自分でほめてあげたいと、いつも思っています。

 

何で夢を見ちゃいけないの?

 

僕はお金を貯め続けました。そして、少しずつ色々な商品を試していきました。

 

だけど、顔を変えるためにお金を貯めて、勇気を出して商品を買ったものの、
全然効果が出ないことも何度もありました。

 

途中で何もかも全てが嫌になることもありました。

 

減量中のボクサーのように空腹と戦い、そしてクラスの人からの嘲笑とあざけりにも
くちびるをグッとかみながら頑張り続けることがある日突然できなくなってしまった
のです。

 

生まれて初めて二重まぶたになった時のような、あの驚きと小躍りするような喜びの
気持ちをもたらしてくれる商品というものは、なかなかそう有るものではありません。

 

「自分の顔を変えたい」という小さな僕の夢。

 

そして、僕が何を夢見ていようと、それを他人からとやかく言われる必要もありません。

 

だけど、いつまでも何の効果も感じられないまま夢を追い続けられるほど
僕は強い人間ではありませんでした。

 

僕は甘い物が大好きでしたので、貯めたお金を今度は甘い物を買うために
使うようになりました。

 

ガリガリな体がドンドン太っていきました。そんな自分を鏡で見つめ、
泣きながら「なんでできないんだよ!」と、自分に負けた自分のことが
悔しくて、情けなくて、自分を痛めつけるようになりました。

 

大樹に命を救われた少年

 

小学生時代は涙なんか一滴も流さなかったのが嘘のように、
今度は悔しさとむなしさで涙が止まらなくなりました。

 

自分の顔がなかなか変わらなかったのもそうですが、その頃は
自分が頑張れば頑張るほど学校のクラスの中で孤立していく感覚があって、

 

誰からも理解も期待も必要もされていないと感じる気持ちが強くなっていった
ことが大きかったと思います。

 

僕が新しい価値(自分の顔を変える)に気持ちを注げば注ぐほど、
当時、少しだけできた新しい友達との価値観の相違が生まれ、
さみしい気持ちや彼らに裏切られ、また一人ぼっちになる不安が常にありました。

 

そして、あんのじょう、また僕は一人ぼっちになってしまいました。

 

当時、自分のしもぶくれの顔がとても嫌で毎日ランニングをしていました。
少しでも汗を出してこの顔をマシにできないか、必死にチャレンジしていました。

 

僕は自分が走っている姿を人に見られてバカにされるのが嫌だったので、
いつも人目につかない道を選んで走っていました。

 

僕が走る道はいつも同じで、人が誰も来ない小さな山道でした。

 

実はその山道の中に、僕がその昔「お寺に預けられるのが怖い」と思っていた
お寺があります。

 

「もしこのお寺に預けられてたら、今ごろ僕はどんな人生を生きていたのかな・・・」
走りながらそんな事を思ったりしました。

 

木々の雑木林(ぞうきばやし)のすき間から少し、お寺の庭がのぞける場所があって、
僕は走るたびにそこをチラリと見ていました。

 

そのお寺は人の気配が無くて、まるで無人寺のようでしたが
月に1回から2回ほどお坊さんが庭掃除をしている姿を見て、
「やっぱり人は住んでるんだ。。」となぜだか少し怖くなったことを覚えています。

 

でも月に1回から2回しか人が出現しない場所で、しかも相手は俗世間から隔離
されたお坊さんだから、彼は僕の事を気にするはずもない。

 

そう判断したからこそ、僕はこの道を選び毎日走っていました。

 

小学生の頃、このお寺に何度も預けられそうになって、
僕が夜寝ている時に見る夢のほとんどは
暗いお寺の中を一人ぼっちで歩いている姿でした。

 

夢の中の僕は泣いているのか、怒っているのかも分からないほど
無表情でしたが、いつも何かにおびえていました。

 

そして祖父に耳を虐待された影響なのか、夢の中でも
耳鳴りの音だけがブーン…ブーン…とどんどん大きくなっていき、
そして夜中に布団の中でハッと目を覚ます。

 

いつもその繰り返しでした。

 

中学生になった僕は、もうほとんどその悪夢を見ることが無くなって、
こうして今ではそのお寺のそばを毎日走り続ける事さえできている。

 

そう思うと少しだけ自分が強くなれた気がして嬉しくなった事を覚えています。

 

僕は、かつては自分を恐怖のドン底に突き落としたこのお寺から、
今度は自分が足を前に出すためのエネルギーをもらっていることに
気が付いたのです。

 

そして、僕が毎日走る道をこの場所に決めたのには、もう1つの理由がありました。

鼻を高くする方法を知らなかったので、一生チビの肉体になりまして。。

 

この山道のてっぺんには1本の大樹(たいじゅ)がありました。
この山道の頂(いただき)からは僕の通う学校も、僕の住む家も、そしてあのお寺
さえも、全てをうっすらとですが確認できることに気が付きました。

 

「親にも家族にも友達にも、誰にも話していない僕の夢。
それは、自分の手で自分の顔を生まれ変わらせること。」

 

だけど、もしかしたらこの大きな樹だけは、
僕がやっている事を全部見ていたのかもしれない・・・
ふと、そのような事を思いました。

 

そして次の瞬間、涙が急にあふれ出てきました。

 

今まで僕は、自分がやっている事は本当は「悪い事」なんじゃないかと、
心のどこかで思っていました。

 

誰からも理解されず、誰にも話すことさえできず、ずっと一人で心を
苦しめながら生きる事に対して、そしてその夢を追いかける事に対して、
何か「悪い事」をしているような気がしていました。

 

きっと、ただ純粋に寂しかっただけなんだと思います。

 

だけど複雑な僕の心は理屈じゃなく、何かどこかで自分の夢を叶えられない
言い訳をさがしていて、それは「悪い事」をしているからなんじゃないか、
だから僕の夢は永遠に叶わないかもしれない・・・

 

そんな、とても理屈にならない論理を持ち出して生きていたように思います。

 

うまく言葉にできないのですが、ぼくはたとえ樹であっても、自分の全てを
受け入れてくれる存在をずっと求めていたのだと思います。

 

言葉を自由に操り、自由に人を裏切ることが可能な人間と違い、
言葉を持たず、一歩も動くことができず、
ただひたすら全てを受け入れ続けることしかできない樹。

 

その苦痛と苦労は、一体どれほどのものだろうか。

 

そう思った時、その樹にすごく自分と同じものを感じました。

 

そして、この大樹はそんな僕の心さえも分けへだてなく「大丈夫だよ」と言って
受け入れようとしてくれている・・・

 

あのとき流した僕の涙は、樹への申し訳なさと、そして感謝の気持ちがごちゃ混ぜ
になった涙だったのだと思います。

 

人に涙を、そして弱さを見せる事のできなかった僕が、思う存分、声を上げて泣くことが
できる場所は、この大樹の前だけでした。

 

鼻を高くする動画

 

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る