自力で団子鼻を なおす&高い鼻を構築する方法

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団子鼻を治す方法

本日の動画

分かりやすいのは、芸能人。(役者・俳優も)。

一重だけど切れ長の目で鼻すじがスッと通っていて、
めちゃくちゃ雰囲気あって カッコが良い。

漫画のキャラでも同じ。

一重だけど、キリリと引き締まった顔つきの男前のキャラってたくさんいます。

漫画でも芸能人でも、アルバイト先でも、そういうカッコいい人達を
ある種(しゅ)ピラミッドのようなものだと置きかえて考えてみる。

なぜ僕たちはそのピラミッド(その人たち)のことを
「格好よい」と感じるのか。

それはその人の肉体だったり(よく鍛えてある)、
「生き方」からにじみ出てくる「男の美学(哲学)」だったり、
そういうものが垣間(かいま)見えるからではないでしょうか。

しかし、ピラミッドにも3段ピラミッドや6段ピラミッド、
10段ピラミッドなどがあり、どうしても同じピラミッドなら
より高くて格好いい方に視線を向けてしまいます。

ピラミッドと鼻の高さの関係

人をピラミッドに置きかえた時の、その「高さ」というのは、身長の高さももちろん含まれますが、
なんといっても鼻筋(すじ)が高身長というか、スーーッと通っていると
見た目の華やかさが まるで違います。

こう思うのは僕だけかもしれませんが、「華」のある男性というのは、
格好の良い所有しているケースが多いように思います。

なので、僕も昔に比べると別人のように見違えましたが、
それでもまだ僕(というか人間)の鼻は一生成長し続けていくので、
これからも毎日マッサージしていこうと思います。

まだ鼻のマッサージに取り掛かっていないあなたは、
まずは始めることから出発しましょう。

そして見事、歩きはじめることが出来たら
次は1週間だけ続けてみて下さい。

変化にきっと驚くことでしょう。

鼻を高くしたあなたに目を丸くする赤ちゃん

その変化に驚いたら、次は3週間だけがんばって続けてみましょう。
ここが一番苦しいですが、人間の心と体は、3週間以上続けた ものごと を、
今度は「やめることが難しくなる」ようにできています。

毎日、仕事終わりにコーラを飲んだりビールを飲んだり、
お風呂上りにアイスを食べるのを3週間ぶっとおしで続けると
今度はそれをやめるのがものすごく困難になるのと同じです。

人間の体は悪いことも「良い事」も、
すべて「習慣」となって、僕らの人生に襲(おそ)いかかってきます。

たとえば、昔、ゴルフで世界一だったタイガーウッズや、
メジャーリーガーのイチロー。

彼らは「練習の鬼」「練習の虫」です。

ようするに、「練習の中毒患者」です。

でも、自分の世界一になりたい分野で、「中毒」になれるのなら中毒上等(じょうとう)ですよね。

このように、自分が輝きたいと思っている仕事であったり、プロを目指して練習に励みたいという分野で、
「何を、どうやれば」、それの中毒患者になることが出来るのか?

それさえ把握できれば、あとはこっちのものです。

人生はすべて、というか、世界はすべてこのメカニズムで成り立っていますし、説明が可能だと思っています。

あなたも僕も、『自分がなりたいもの』、それを自分の意志で見つけて決めたら、
あとはそれに向かって一直線になれるように、
「中毒化」スキルを身につけましょう。

あなたが独学でそのスキルを体得したいというのなら、僕はそれを応援します。
「もうそんなスキル、とうの昔に身に付いているぜ」という場合は、おめでとうございます。

「そんなスキルいらねー。めんどくせーよ。」
そんなあなたは、僕と根本的に価値観が合わないので、どうか今スグにお引き取りください。

「そのようなスキルをどうやって身に付けたらよいの・・・?」
という、あなたへのメッセージ

ちなみにこのスキルの体得方法はですね、
僕の無料講座(無料動画)の中で合わせていっしょに公開していますので、
無料動画を申し込みするだけで、0日間ほどで するすると体得可能です。

なんでこのようなスキル体得の講座をですね、提供しているのかと言いますと、
単純な理由、マッサージなんて「中毒」にならないと続けられないでしょ?
こんなめんどくさいことをさー・・・っていう話です。

だって毎日、毎日、ですよ?

まともな神経している人は苦痛なはずです。

だからそれをちょっとした工夫で、
まるで「オナニーを毎日するな」と言われてもしてしまうように、
苦痛を快楽に変えるポイントを見つけて、あとはそこを深く深く突きまくる事で
自分で自分を中毒に追い込んでいくわけです。

このスキルは悪用してしまうと、
自分の恋人を性奴隷に仕立て上げることも可能なスキルです。

なのでウェブサイトなど不特定多数の人がジーと見ることのできる環境や、
僕の価値観に反する人がウロついているような場所では公開していません。

なので、このスキルを悪用しないと約束できる人だけに・・・

みたいな、よく見かける系の話の持って行き方をするのが、常識のある人間のやり方ですが、
僕はそのようなことは言いません。

なぜかと言えば、
悪用するなと言われれば悪用したくなるのが人のサガだから(生まれつき備わった性質のこと)。

なので、悪用したいのなら、すればいいと思うんですよ。

だって、実際にやってみないと
それが本当に悪いことなのか、それとも良い事なのか、
分からないでしょ?

女の子の首を絞めたら犯罪ですけど、
自分から「絞めて」と言ってくる子に対してそれを行うなら、
それは立派な「価値の提供」ですよね?
※実際、そういう”行為”を望む人もいます。

だから。

いいことも、そして悪いことも、
全部自分の責任でやったらよいと思うわけです。

そして、思うぞんぶん、後悔すればいいし、叫び出すほど泣いたらいいと思います。

ギリシアノーズ 後悔

僕もここではとても書けないような事をしてしまい、
今でもずっと後悔しています。

そして、その傷を抱えて生きています。

だけど、今の自分があるのはその傷のおかげです。

今の僕は、まだまだ全然やさしい人間ではないし、
そもそも優しい人間になりたいとも思っていないのですが、
それでも、

人にやさしくできる人は、人の痛みを知っているから

なのだと思っています。

これを裏返せば、人をいじめるときは
その人がいま、どのくらい辛(つら)いのか、よく理解してから
ギリギリのラインを狙っていじめる

それが大切になります。
なにやら悪党がとんでもない説明を始めたと感じるかもしれませんが、
半分は正解で、半分は間違っています。

自分の恋人を良い意味で調教するのも、
自分の部下を良い意味で教えて育てて伸ばすのも、
かなり似た部分があるからです。

わかりやすいたとえを出すと、部活の、たとえばバレーボールで
全国制覇を狙っているとしましょう。

目標が高いから、当然に練習もハードコースです。

新人などはうっかりするとゲロを吐きます。
もしもそんな時、自分の経験から

新人をしばきまくって「あえて」ゲロを吐かすのか、それともその直前に救出するのか、
具体的に何をどのように、
自分がいま、先輩として判断したり実行することで
もっともチームにとって、そして新人にとって「良い結果」をもたらすのか。

それを、本当に全国制覇を目指しているのなら、無意識の内に考えていると思います。

その びみょうな力加減の調整というか、さじ加減がなぜ出来るのかと言うと、
自分が先輩にしごかれたり理不尽な仕打ちを受けてきたから、

「だから自分は後輩には、そういうコトしないでおこう」

とか、逆に

「これは辛かったけど、今思うとその仕打ちが無いと今の自分は無かったと思う」

とか、自らの経験から色々なことを学べているからです。

だから、今、じぶんの目の前でゲロを吐いている新人を、
昔の自分と重ね合わせて、「同じなんだ」と気持ちを察してフォローすることが出来るわけです。

同じ経験をした者同士でなければ、こうはいきません。

それと同じです。
人をイジメるときにも、昔、自分がいじめられて嫌な思いをしていないと
なかなか相手のことを思いやるのは難しいものです。

SMクラブの女王様と同じです。

どこまでが暴力で、どこからが提供なのか
すべては紙一重であり、経験がモノを言う世界であります。

そして、経験が無いのなら、経験をおぎなうにあまりある、優れた洞察力が必要です。

鼻を高くするためのすぐれた洞察力

僕としては経験を積みつつ、初めて「でくわす」緊急事態にも
つとめて冷静に対処できる自分であるために、
洞察力を磨いていくことを続けていきたいと考えています。

さて。

話を元にもどしましょう。
じつは、「自分を中毒にさせるスキル」、あなたがこれを体得するステップの中で
「自分の気持ちを理解する」。このスキルが自動的に研ぎ澄まされることになります。

ここではその理由は省略します。
そして、自分の気持ちが手に取るように理解できてくると、
今度は人の気持ちが以前とは比較にならぬほど鋭敏(えいびん)に感じ取れるようになります。

なぜかというと、「他人は自分によく似た別の人」だからです。

つまり、自分が分かれば、、他人が分かるのです。

そして、世界は自分と他人と自然で出来ています。
この世界を構成する3大要素のうち、
あなたは「自分が分かる」ようになるだけで自動的に3つのうち2つ(自分と他人)を
手中におさめることになるのです。

鼻を高くして世界を手中に収める

世界を理解する上で(というか無理して理解する必要もありませんが)
残る「自然」というものは厄介な存在ですが、
自分と他人を理解できた あなたの敵ではありません。

なぜなら、「自然を理解する」というものは、算数の計算でたとえるならば、
台形の面積を求めるようなものであり、
それは、台形の計算方法を知らなくても
三角形と長方形の面積の求め方を知っていれば自力で計算してマル(正解)をもらう事ができるからです。

そして、この場合の三角形と長方形の面積を求める式が
自分の気持ちを理解すること(三角形)、
他人の気持ちを理解すること(長方形)
に なります。

だから、自然を理解することも、手持ちのスキルで対応可能という意味で同じなのです。

たとえ話を1つします。

他人の気持ちを理解するスキルが上がれば、
他の人ではまねのできないような「提供」を人に対して行うことができます。

その結果、「ありがとうの気持ち、お返しのトリガー」発動して
その人は あなたのどんなお願いごとでも聞いてくれるようになります。

鼻を高くしてくれてありがとう

その結果、たとえばあなたが自然の事を理解したいと思ったら、
「自然の事を世界一わかりやすく教えてくれる人」から学ぶことも可能なわけです。

たとえば僕が、「超」がつくほどのバカでも、
「日本で一番、大学受験で東大に合格させるのが得意な先生」のもとで
必死こいて頑張れば、もしかすると もしかするかもしれません。

それと同じです。

ようするに、他人の気持ちを理解するだけで、
自然のことも独学じゃなくて人に教えてもらえる・・・
その結果、自然の事が理解出来る。

その結果、世界を構成する残り一つの要素(自然の理解)を
あなたは手の中におさめることになる。

その結果、世界を理解したあなたは、
世界の中で自在に生きていくことができる。

鼻を高くして世界理解

富のルールを知る者が、大富豪になることが可能なように、
世界のルールを知る者は、自分の人生において覇権(はけん)を握ることが可能です。

僕たちの幸せとは、
つまるところ自分自身を制覇することが出来るかどうかで決まります。

鼻高くして自分制覇

上を見ればきりがない、そして、不幸なヤツがいくらでもいるように、
下を見てもキリがない。

だけど、この世界の中で唯一、自分だけが「きりが有る」のです。

ボクシングにたとえるならば、
たとえ自分がミニマム級(一番体重が軽い階級)で世界一強くても、
ヘビー級(体重が一番重い階級)と闘うとなると話は別!ってなるように…

つまり、統一された「世界一」が存在しない。

だけど、自分自身というものは、過去の自分も今の自分も、
心も体も、元は同じ一つのもの。

そういう意味では統一されており、
自分の中で納得のいく自分との勝負ができます。

そして、幸せとは
自分自身と上手に勝負を繰り広げていくことから生まれるものだと思っています。

たとえるならば、トムとジェリーの勝負のようなものです。

いつもかわいそうなくらいネズミさんが猫の方をコテンパンにしていますが、
実はけっこう、猫が勝っているのです。

そして、引き分けとなった一騎打ちの大勝負も、もちろんあります。

だから、面白いのです。

自分との闘いもこれと同じです。
過去の自分を乗り越えていく中で、どんなにすごいノウハウを学んでいたとしても、
それでも時には過去の自分に負けてしまうこともあります。

でも、それでよいのだと思います。

人生とは自分自身を制覇することで満足度を上げることができますが、
負け知らずの人間とは、なかなかどうして、けっこうツマラナイものだと思います。

トムとジェリーでも、たまにネコの方が勝つからこそ、
物語に「味」が出るのだと思います。

だから、内なる自分自身との対決の中で、勝ったり負けたりしながら、
色んなものを乗り越えていくことに、人生の醍醐味(だいごみ)があるのだと思っています。

さて。少し話は変わりますが、

僕たち人間は何かと何かを比較しないと生きていくことが出来ません。

たとえば、さっきより暑い。
だから汗を出して熱を下げよう、というメカニズムが働いたり
自分で服を脱いだり冷たいものを飲んだりするわけです。

この比較がちゃんとできないと、
手が燃えているのにそれに気がつかずに手がろうそくのようになったりします。

100メートルもあるようなビルの上から
興味本位で飛び降りたり
してしまうかもしれません。

なぜ高いところがヤバい(死ねる)と感じるのかと言うと、
過去に自分が3mの所からジャンプして足を骨折して痛い思いをしたりとか、
祖先のDNAの中に人類の本能として、それが備わっているからです。

動物が火をみたら逃げるのと同じです。
「ヤケドするかな~」とか頭で理解しているのではなく
祖先がそれで焼き殺されたのを本能で理解しているからです。

ここで詳しくは言いませんが、
僕たちがとにかく他人と色んなことを比べたがるのも本能でそうするように
プログラミングされているからです。

なので、僕たちは何かと何かを比較することから
逃(のが)れることが出来ません。

しかし、逃れられないという事が、
悪いことばかりとは限りません。

その理由の一つは、幸せを感じるメカニズムも同じだからです。

昨日は寒かったけど、今日は暖かい。だから幸せ。
昨日は雨で憂鬱だったけれど、今日は晴れたので幸せ。

というように、幸せというものは基本的に
過去に起きた不幸と今の現状を比べて、勝っている部分に意識をフォーカスして
幸せと感じています。

昨日の天気と今日の天気の「ちがい」のように、
それが不幸と呼べるような「サイズの大きなもの」ではなかったとしても、です。

なにか そこにわずかな「違い」があり、その違いに「幸せ」と感じることさえ出来れば、
僕たちは一瞬にして幸福に包まれる事が出来ます。

鼻の高さの違いがあったかい幸せ

だから、人間が生きていくためにも何かと何かの比較は
停止することができないのです。

で、ここまでお話すればようやくつながりが見えてくる頃かと思いますが、
他人と自分を比較するのは、自分にとって不幸を招く事があります。

だから、今の自分と過去の自分を比較するのです。
※過去の自分と勝負をするということ

過去の自分には若さでは負けるけれど、今の自分の方が
世界中のいたるところに隠れている幸せを見つけ出す実力は勝っているぞ、とかね。

何か1ミリでも「違い」があれば、僕らはそれを「違い」と判断し、それを
感じ取ることの出来る 「ちから」が僕たち人間には備わっています。

たとえば、Aくんはキャンディーを2個もらえたのに、
自分は1個しかもらえなかった。

僕たちはたったそれだけの「違い」を認識して、
それを「墓場」まで大切に持っていくことができる生き物です。

ようするに、ほんのわずかな「違い」が理解できるし、
それによる影響をめちゃくちゃ受けるということです。

だから、他人と自分を比較するのは危険なのです。

ちょっとAくんの方が顔が良いとか、ちょっとだけ愛想がいいとか、
たかがそれぐらいの事であり、日常よく目にする差別行為に過ぎません。

キャンディーを分け与える数を、お気に入りの強さで変えるという、
分かりやすい差別はしない人が多いですが、そういう人でも
脳内で「この子は顔が好み」「この子は顔が気持ち悪い」
などといった差別を必ずしています。

僕もそうです。もしかしたら あなたもそうかもしれません。

なので、人は何かと何かを比較することから逃げられないのです。
そうじゃないと、沢山の異性の中から恋人を決めるとき、「この人!」と言って
「選びとる」ことも出来ません。

誰かを好きになるという事は、その人のことを他の人たちよりも「特別である」
自分の中で「違い」として認めることができているからです。

「わかった。人は比較することから逃げられないんだな。
じゃあ、具体的にどうすればいい?どうやって幸せに暮らしていく?」

と聞かれれば、今ここで言えることは「そういう事実があるんだと理解」する事、
ただそれだけで気持ちがかなり楽になる人もいると思います。

たとえば、クリスティアーノロナウド(しかもイケメン)というサッカー選手がいます。
彼は世界中のどこに行っても人気者ですが、
それは世間の人々が彼をクリスティアーノロナウドだと認識しているから、
つまり、他の一般人との「違い」を認識しているからです。

ある企画でこんなことがありました。

クリスティアーノロナウドに特殊メイクをしてホームレス風の人間に仕立て上げ、
道ばたで彼にサッカーボールでリフティングさせたり、
通行人の人たちに「一緒にボールをけって遊ぼう」と声をかけさせたりしました。

しかし、誰も彼のことを相手にしません。

そして、最後に彼が特殊メイクを外した瞬間、
彼の事を一般人とは「違う」と認識した人々がワラワラと彼の前に集結します。

要するに何が言いたいかと言うと、
人は「違い」が認識できないものには価値を感じないという事です。
裏返せば、違いが認識できないと幸せを感じ取ることが不可能という事です。

たとえば、今日、すごく天気が良くて空が晴れていても、
昨日家で寝込んでいて、雨が降っていた事を知らなければ
今日の天気を幸せと感じ取れないかもしれない。

だけど、昨日の天気を知っていれば、昨日の天気と今日の天気との「違い」から、
ただちに幸福を実現することができるチャンスが見えてきます。

このように、人の人生の幸せとは、
どれだけ「違い」に気付けるかで1つは決まります。

だから、なるべく他人と自分との比較はしない方が良いのですが
それでも「少しは」してしまいます。

そんな時でも、
たとえば自分の良いところを100個知っていれば(それだけ気付くスキルを上げていれば)、
たとえばイケメンをみても「口元のほくろ位置だけは自分の方が勝っているぞ」、
みたいな感じで100%の敗北をせずに済みます。

その結果、落ち込んでも浮上するまでの時間が短くて済みます。

次に会う時までに自分の良いところ200個見つけていれば、
こんどはもっと早く浮上が出来ます。

その次はもしかすると無傷でやり過ごせるかもしれません。

鼻を高くして無傷でやり過ごす人

これが、「違い」に気付くスキルを磨いて研ぎ澄ませていくという事です。

そしてこの練習は、そのまま自分の気持ちを理解する練習につながっていきます。
僕の無料講座では、このような学習を通して
あなたがあなたの人生のなかで創造的進化を果(は)たすための弾丸(だんがん)を撃ち込みます。

そしてもうひとつ。

あなたには無料講座を通して「違いに気付く」だけでなく、
「違いを生み出す」つまり、「違い」をクリエイト創造するスキルを身に付けてもらいます。

それはなぜかと言うと、「違いに気付くこと」のスキルは、
もしもそこに違いが無ければ、「自分(あなた)ひとりでは幸せを実現できないから」です。

クリスティアーノロナウドの特殊メイクを見破るスキル(違いに気付くスキル)を
どれだけ磨いても、あなたの住んでいる街にクリスティアーノロナウドが現れなければ
あなたは幸せになることが出来ない…それじゃ本末転倒ですよね。

だから、自分で「違い」を生み出して「あなたひとりのちから」
幸せに包まれてしまうスキルを身につけてもらいます。

さて、少し話は変わりますが、
レオナルドダビンチも、「鉄の王」と呼ばれたアンドリューカーネギーも、
数々の革新的発明や発見をした大人物として有名ですが、
彼らがなぜ「それができたのか」といえば、「世界を構成する3大要素」の理解者だったからです。

世界を構成する3大要素とは何かといえば、
自分他人自然のことです。

そして自然を理解するスキルとは、たとえば交尾をすれば子孫が発生しますが。
「AをするとBになる」ということを高確率で正しく予測できる能力の事です。

自然のスキルは勉強によって身に付ける事もできますし、
洞察力(どうさつりょく)によって伸ばすこともできます。

鼻を高くするためのすぐれた洞察力

たとえば自分が中学生でも、
夜中に父親と母親が裸で抱き合っている現場を目撃すれば、
赤ん坊というものがどのような経緯を経て生誕(せいたん)するのか
おぼろげながらに理解できるのと同じです。

こむずかしい教科書や本はいらないし、ネットで調べるまでもなく、
自分がいま持っている最低限の知識を、積み木パズルのように
組み合わせれば理解できるのと同じです。

これが洞察力の基本です。
なので、洞察力と言うのは誰にでも磨くことが出来るチャンスがあり、
それは正しいやり方意(にょい)棒のように伸びていきます。

だから、自然を理解するスキルというものは
じつはそれほど努力しなくても上げられるという事です。

そしてもう一つ大切なことがあるのですが、まず先に、

自分を理解することで他人を理解することが出来るようになります。
なぜならば、「他人とは自分によく似た別の人」だからです。

そして、その大切なことと言うのは、
他人を理解することで、その人が経験してきた数々の歴史やスキルを
かなりリアルに追体験(ついたいけん)できるようになるのです。

追体験とは何かと言うと、
たとえばあなたが映画や小説、あるいは漫画を見るとき、
しぜんとその物語の誰か(多くの場合は主人公)に感情移入して
まるで自分がその場にいるかのような気持ちにさせてもらえます。

だから、主人公が悲しいと、あなたも悲しい気持ちになるし、
主人公が嬉しいとあなたのほほも自然とゆるんでしまうのです。

つまりあなたは、主人公が体験した出来事を、
あなたもその場で一緒になって体験している(に近い状態)なのです。

鼻を高くする追体験

これを難しい言葉で追体験(ついたいけん)といいます。

警察が犯人の後ろを追いかけまわすことを追跡(ついせき)といいますが、

ぬすっとの背中越しに鼻を高くする警察
追体験とはあなたが主人公の背中ごしに主人公が体験した出来事を
擬似体験することを言います。だから追体験なのです。

なぜ映画や小説や漫画が追体験しやすい(感情移入しやすい)かと言うと、
作る側が意図的にコントロールして制作しているからです。

だから僕らは、彼らの計算通りに物語の中で泣き、
そして笑いや感動を
手に入れるわけです。

コントロールされているのは何か感じが悪い」と思うかもしれませんが、
たとえば、あなたが家に帰ったら あたたかい ご飯が用意されているのは
あなたのお母さんが意図的にあなたの帰宅時間を計算し調理しているからです。

あなたのお母さんは、ただひたすら、
あなたに あたたかいご飯を食べてもらいたいと思って一生懸命やっているだけです。

そこに悪意はありません。

これって、映画の製作者の人たちが僕らを感動させようと
一生懸命なのと少しも違いはありません。

そしてさきほど、

他人を理解することで、その人が経験してきた数々の歴史やスキルを
かなりリアルに追体験できるようになると言いました。

これはどういうことかと言うと、僕たちは自分を理解することで、
はじめて、
他人の中にも自分と同じように、「物語」がちゃんとあるんだという事に
気がつくようになります。

その結果、今まで興味の持てなかった他人の人生に、
不思議と興味が芽生えてきます。

その結果、他人の話をもっと聞きたいと思うようになり、
ときには自分から質問を用意する事もあります。

その結果、他人(たとえばBくん)としては
自分にそこまで興味を持ってくれたあなたの事を嬉しいと感じ、ついつい
たくさんのことを話してくれるようになります。

その結果、あなたはリアルにその人の話を聞き、
そしてより正確な追体験をすることができます。

普通の、多くの人たちと言うのは、普段からあんまり話す練習をしていなかったり、
「自分の中にある物語を引き出してくれる人物」と出逢うチャンスがありません。

だから、「小さいかもしれないけど貴重な1つの物語」を
自分の中だけにしまいこんでしまいます。

ときおり、友達に話したりするけど
「それ、おもんないわ」とディスられ(侮辱され)、
その物語は永遠に幕を閉じることになるパターンが多いです。

もしも あと少しだけ、話にスパイスを効かせることが出来れば、
すごく良い話になるかもしれないのに…

侮辱したその友達も、自分の人生を損していると思います。
なぜならば、

たとえば古代エジプトのピラミッドを建築するのは一人では不可能なように、
僕たちは他人の物語を吸収することでしか、自分のことを完全体にもっていくことが
できないからです。

たとえは悪いですが、ドラゴンボールでセルが人造人間たちを吸収しなければ、
完全体になることができなかったのと同じ事です。

自分一人で世界を歩き回ったり、
世界の事を学び尽くして後悔の少ない人生を歩もうとするのは不可能です。

だから、他人から学ばせてもらうのです。

だから、僕たちは他人の物語を引き出し
それをまるで映画のような味付けへ変えてしまう魔法のスパイスをふりかけてあげるのです。

そうすることで、たとえツマラナイお話だったとしても、あなただけは
それを楽しみながら聞くことが出来て、自分の血肉へと変えていくことが出来るのです。

まずい食べ物でもマヨネーズかけときゃ美味しい的なアレです。

そして、まずい食べ物ほど養価値が高かったり
つまらない話ほど自分のためになる(役に立つ)話が多かったりします。

そうすることで、引き出された人は気持ちがすっきり楽になるでしょうし、
引き出してあげたあなたは、物語の追体験をして1つ賢くなることができます。

その結果、それまであなたの頭の中にインプットされていなかった
新しい自然の知識や理解力も勝手に入って来て増えていきます。

分かりにくいかもしれないので1つ例をあげます。

たとえばあなたが野口英世のマンガの本(伝記)を読んだら、
最初は、あなたの脳内に医学知識ゼロだったとしても、それを読み終えるころには
多少なりと医学知識がインプットされているのとおなじことです。

つまり、あなたは物語の中で、野口英世の人生経験を背中越しに
追体験したという事です。

あるいは、小学校の図書室においてある「はだしのゲン」というマンガを読むだけで、
まるで戦争を体験したような知識を得ることができるのと同じ感覚です。

ようするに何が言いたいかと言うと、

自然を理解するために何か気合を入れたりする必要はなくて、
マンガ読んだり映画見たりするのと同じように、
人の話を聞いて、その人の物語を引き出すことを楽しめるような自分になれたら
あとは勝手に「世界」についての理解力と洞察力は上がり続けていく

鼻を高くして世界理解

という事なのです。

それでは最後に、今日のお話を整理します。

1.鼻のマッサージをしていないなら、始めることから出発する

ギリシアノーズマッサージを開始すると決意


2.マッサージを1週間だけ続けてみる。そして自分の顔(鼻)の変化に驚くという体験する。

鼻を高くしたあなたに目を丸くする赤ちゃん

3.マッサージを3週間だけ続けることが出来たら、今度は「やめるのが難しくなる」。

鼻を高くするはしご

せっかくここまでのぼったんだから、途中で下におりるの勿体ない…と思いますよね?
それと同じです。

4.始めの3週間を 「のり切る」ために、
そしてあなたの人生で叶えたい目的や望み、願いを実現するためには「中毒化のスキル」が必要。

鼻を高くした中毒化戦士

5.ギリシアノーズ無料動画講座では、「中毒化」のスキルも伝授していきます。

動画美鼻づくりの宝刀


6.中毒化のスキルを身に付けると

自分の心と他人の心を理解したり、通わせる能力がおそろしいほど研ぎ澄まされる。

心通わす 鼻高くする方法

7.その結果、幸せに気付くことも、幸せを「生み出す」ことも自分の意志で出来るようになる。

鼻を高くして幸せに包まれる

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